私は待っている
私は昔から市場という空間が大好きだった。
叔父が築地市場で働いていた事もあり、 子供の頃は市場をいつも迷子になるぐらい歩き回った。
市場は商品に溢れ、その筋のプロ達はものを良く知り、 いつも活気に溢れていた。
私が看板に市場という言葉を足したのも、その影響である。
他の看板店で15年働いていたスタッフが今、 看板市場という場から再出発をした。
前に務めていた看板店は悲しくも閉店するらしい。
彼が今まで築き上げた経験。それは財産。
もし他の業界で再出発していたら、その財産の殆どは、
中身を見ることのできない宝物として押入れの隅に追いやられてい たことだろう。
しかし、同じ業界で再出発した彼は、 その財産を惜しみなく使うことができるのだ。
これは双方にとっても喜ばしい事実である。
今看板店はその数を減らしている。
その事実はさておき、ここで最も問題となるのが、 そこで働いている従業員の行く末である。
彼らは業界の財産。 他業種への移行は看板業界全体の損出なのである。
これらの事実を組合や協会、 メーカーがどれだけ重く受け止めているのだろうか?
ここで私は業界の財産である貴方達に伝えたい事がある。
看板業界は今、 この社会における、その価値を主張できずに衰退を招いている。
仕方が無いことなのか?それとも必然なのか?
私は大きな決断をした。
どこかでその輝きを開放できない者達よ、貴方達の力を、 この看板の市場で使ってみないかと。
私は待っている。この業界で、拳を みんなで高く突き上げるために。